僕が子供の頃、親が僕に色々と習い事をさせていました。
親としては何か1つでも身についたら・・・という思いで習い事をさせていたのかどうかはわかりませんが、結局何1つ長続きせず、ことごとく中途半端で終わりました。
ですので、僕自身ずっと
「何をやっても長続きしない中途半端な僕」
というセルフイメージを持ち続けていました。
本当に何1つやりきったものがないんですよ。
習字
ソロバン
水泳教室
体操教室
エレクトーン
絵画
少年野球
少年サッカー
中学や高校の部活すらも長続きしませんでした。
器用貧乏
広く浅く
オールマイティー
なにをやらせても、そこそこうまくやるけど、平均点で飛び抜けることがない中途半端さに大人になればなるほど嫌気が指していました。
自分の「偉大」を探すプロセスだった
でも、その後ろめたさ、自己嫌悪の日々も、ある時に終りを告げました。
三日坊主、素晴らしいじゃないか!という考えに変わったのです。
それは、エグゼタイム仕組み経営サクセス・フォーミュラに織り込んでいる「エグゼタイムを探すプロセス」にあります。
自分の中の「可」でなく
自分の中の「良」でなく
自分の中の「最良」でなく
自分の中の「優」でなく
自分の「偉大」を探すプロセス。
僕たちの経験は、ほんの僅かな「偉大」を見つけるためのものだとしたら、ほとんどが三日坊主で終わってもいいのですね。
三日坊主で終わるものは、自分の「偉大」ではないものです。
自分が偉大になれるものではないのです。
でもやらなければそれに気づきません。
だから、やってみて三日坊主ならば違うんだということがわかります。
どんどん行動して、どんどんやめる。
それを自分に許すことができた時、本当に気持ちが軽くなりました。
三日坊主を攻めるな
また、自分が得意なものや飛び抜けたものがないと悩んでいましたが、とんでもない、そういう形ではなく、「飛び抜けたものがないという飛び抜けていた能力」があることに気づけたことも、自信になりました。
もしかしたらあなたも、三日坊主な自分を責めていないでしょうか?
まったくその必要はないんですよ。
自分の「偉大」を探すその繰り返しの中で、三日坊主を繰り返す自分を褒めてあげてください。
いずれ自分の「偉大」に気づくタイミングが来ると思います。
自分の「偉大」は、自分では気づいていない無意識に繰り返していることの中に実はあるんだ、ということをなんとなく覚えておくといいと思いますよ^^